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高松高等裁判所 昭和36年(く)3号 決定

抗告人 文長福

訴訟代理人 保持時夫

主文

原決定を取消す。

検察官の本件各刑の執行猶予の言渡取消請求はいずれもこれを棄却する。

理由

本件即時抗告の理由は、末尾添附の代理人弁護士保持時夫提出の抗告申立書に記載のとおりである。

案ずるに、本件記録及び申立人に対する新居浜簡易裁判所昭和三五年(ろ)第六五号窃盗被告事件の記録に徴すると、申立人は、昭和三二年一月二四日(同年二月八日確定)同裁判所において賍物故買罪により懲役一年及び罰金一五、〇〇〇円に処せられ同裁判確定の日から四年間右懲役刑の執行を猶予せられその期間中保護観察に付されていたのに拘らず(以下右刑を第一刑という)、更に同裁判所が右事実を看過したため、申立人は、右第一刑の猶予期間中である昭和三五年一二月一六日同裁判所において窃盗罪により懲役一年二月に処せられ同裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予せられその猶予期間中保護観察に付されたのであるが(以下右刑を第二刑という)、検察官も右第一刑の前科事実を看過し検察官控訴の申立をしなかつたため、右第二刑を言渡した裁判は昭和三六年一月五日確定するに至つたこと、検察官は、同年一月一六日原裁判所に対し、右第二刑については刑法第二六条第三号により、右第一刑については同法第二六条の三の規定に基き、それぞれその執行猶予の言渡の取消を請求したところ、原裁判所は、検察官の請求を全部認容して右第一刑及び第二刑につきなした各懲役刑の保護観察付の執行猶予の言渡を取消したことがいずれも認められる。

おもうに、刑法第二六条第三号は、その取消の対象となつた裁判の確定後、その裁判の言渡前他の罪につき禁錮以上の刑に処せられていたことが発覚したことを意味するから、他の罪につき禁錮以上の刑に処せられていたことが裁判言渡前既に当該裁判所に発覚していた場合はもとより検察官に発覚していた場合も右規定中には包含されないと解するを相当とする。(昭和二七年二月七日最高裁第一小法廷決定参照)。

然るに、本件執行猶予の言渡された申立人の前記第二刑の窃盗被告事件記録によれば、申立人の司法警察員に対する昭和三五年一〇月三一日附供述調書中には同人の供述として、「前科は昭和三二年二月頃賍物故買罪で懲役一年四年間執行猶予処分を受けたことがある。」旨の記載が存し、同人の検察官に対する昭和三五年一一月九日附供述調書中には同人の供述として、「前科は昭和三二年二月頃新居浜簡易裁判所で賍物故買罪により懲役一年執行猶予四年及び罰金二〇、〇〇〇円に処せられた。」との記載が存するのであり、右各供述調書はいずれも当該事件第二回公判廷において適法に証拠調の行なわれていること、他方同事件第三回公判廷においては、申立人の前科照会につき法務省刑事局法務事務官が昭和三五年一一月二一日附で回答した書面につき適法に証拠調が行なわれ、同書面には申立人が前示の如く司法警察員及び検察官に対し自供した前科の事実は記載されておらず、かつ、申立人は、同公判廷において裁判官の質問に対し、同書面に記載せられた以外には処罰を受けたことはない旨供述していること並びに右各証拠相互間には明白な矛盾があるに拘らず裁判官及び検察官はその点につき何等たしかめるような措置を講じていないことが認められるのである。右各事実、第二刑の言渡刑期が懲役後一年二月であること及び第二刑の裁判の調書判決謄本によつて認められる保護観察につき適用した法条が刑法第二五条の二第一項前段であること等に鑑みれば、第二刑の裁判言渡をした新居浜簡易裁判所裁判官は、前記前科回答書の記載をたやすく軽信し、漫然と申立人の司法警察員及び検察官に対する第一刑の前科に関する各供述記載を排斥して右前科事実を消極に判断したこと並びに検察官も第二刑の裁判に対して控訴申立の手続をとらずそのままこれを確定させたことに徴すると裁判官と同一の見解であつた趣旨が窺われるのである。

もつとも、第一刑の真実の前科事実は、前示のように保護観察付の執行猶予であるに拘らず、第二刑の裁判言渡当時第一刑の前科事実として窃盗被告事件の記録中に現われていた供述記載は保護観察に付されていない単純な執行猶予中の前科事実であり、したがつてその記載は真実の第一刑の前科事実とは一部相異していたことが明らかである。しかし、申立人に対する前記前科回答書によると、申立人は、昭和三一年二月九日松山地方裁判所西条支部において覚せい剤取締法違反罪により懲役六月及び罰金四〇、〇〇〇円に処せられ(同年二月二四日確定)、右懲役刑は四年間その執行が猶予せられており第一刑の裁判言渡当時においては現にその執行猶予中であつたことが明らかであるから、検察官もしくは裁判官において、第一刑の前科の点に関する申立人の供述について些少なりとも注意したならば当然第一刑の前科事実を詳細に調査した筈であるし、かつ、第一刑が保護観察付の執行猶予中のものであることを容易に発見し得た筈であると言わなければならぬ。即ち、第二刑の裁判言渡をした新居浜簡易裁判所の裁判官及び同事件の立会検察官は、前記第一刑の前科事実をいずれもその不注意によつて看過したものというべきである。そして、刑法第二六条第三号にいわゆる「発覚した」というのは、裁判官及び検察官が当該前科事実を全くその資料が存在しなかつたため裁判言渡前には発見することができなかつたのにその裁判確定後に発見された場合を指称するのであつて、不完全であつてもその前科事実がその裁判言渡前当該事件の記録中に現われており裁判官及び検察官において覚知し得る状態に置かれている以上、かりに裁判官及び検察官が不注意によつてこれを看過したとしても、かかる場合にはもはやその裁判確定後発覚したものとはいえないというべきである。蓋し、刑法第二六条第三号の如く被告人に重大な不利益をもたらす執行猶予の必要的取消に関する規定は特に厳格に解することが要請されるからである。

そうすると、本件第二刑の執行猶予取消請求は、上叙の理由により、もはやこれを許容し得ない筋合であり、その取消を前提とする第一刑の執行猶予取消請求も亦理由がないことが明らかである。さすれば、これと相反する判断をした原決定は違法であつて取消を免れず、本件即時抗告は理由がある。

よつて、刑事訴訟法第四二六条第二項により主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 三野盛一 裁判官 木原繁季 裁判官 伊東正七郎)

代理人保持時夫の抗告申立理由

抗告申立人に係る執行猶予取消請求事件につき昭和三十六年一月二十五日新居浜簡易裁判所に於て文長福に対し当裁判所が昭和三十二年一月二十四日賍物故買罪により懲役一年と罰金一万五千円に、昭和三十五年十二月十六日窃盗罪により懲役一年二月に各処した際言渡した右各懲役刑の保護観察付の執行猶予の言渡はいずれもこれを取消すとの決定があつたが以下述べる理由によりその不法であること勿論であるから右決定の取消を求めるため抗告の申立を致します。

本件決定は判例に違反する不法なものである。

本件の大要は抗告申立人に保護観察付の執行猶予の前科があり、その執行猶予の期間中に更に裁判官が過つて再び執行猶予を言渡したと言うことである。しかもその前科は抗告申立人に於て隠していたものではなく警察、検察庁の取調の際からすでに自供して来たものである。即ち抗告申立人は昭和三十五年言渡に係る一件記録中の司法警察官作成の被告人供述調書に於てその前科につき「前科は昭和三十年頃覚せい剤を売買したことで懲役六カ月で三年間の執行猶予処分を受けたことがあります。昭和三十二年二月頃賍物故買で懲役一年四年間の執行猶予処分を受けたこともあります」と供述しておりまた右記録中検察官作成の被告人供述調書に於てその前科につき「前科は昭和三十二年一月頃新居浜の裁判所で賍物故買罪により懲役一年執行猶予四年及罰金二万円に処せられました。その外に昭和三十年頃覚せい剤の違反で懲役六月執行猶予三年に処せられた事があります」と供述しておるものである。更に公判手続に於ても右各供述調書はいずれも被告人が同意した上裁判所に提出されているものである。

刑法第二十六条第三号はもともと執行猶予の言渡後に前の処刑事実が発覚した場合に関するものであつて本件のように言渡前警察官にも検察官にも裁判官にもすでに発覚しておつて、しかも裁判官がそれを看過していたに過ぎない場合に関するものでないことは判例もまた認めるところであつて本件抗告申立人に関するかぎり刑法第二十六条第三号により執行猶予の取消はなさるべきではない。勿論昭和三十五年言渡に係る事件の判決は違法ではある。従つて検察官はその違法な判決を是正するため上訴手続をなすべきであつた。ところが検察官も亦自己にはすでに発覚していた抗告申立人の処刑事実を看過して控訴期間を徒過した現在となつては当然検察官は非常上告の手続により本件違法な判決を是正すべきであるに拘らず不法にも本件執行猶予取消の請求を為したものでその請求はもとより却下せらるべきものであつた。裁判所もまた刑法第二十六条第三号の解釈を過り不法に本件に適用して本件決定をなすに至つたものでこれまたもとより取消さるべきものである。若し本件に於て裁判官に過なかつたなら執行猶予の言渡をする筈はなく従つて抗告申立人も控訴申立をするとすれば前刑の執行猶予期間は経過するのと事件そのものが窃盗犯としては非常に犯情が軽微であるため控訴審に於ては合法に執行猶予の判決を得る可能性も大いに期待出来たものであること又若し検察官に過なく適法に控訴手続を採つていたならば同様な結果になつたものであることを考えれば抗告申立人の立場は全く無視せられていると言わざるを得ない。前科の処刑事実を最初から自供している抗告申立人がその処刑事実を看過した裁判官と検察官の過失によりこの様な不利益な立場に立たされることは日本法秩序全体から見て断じて許すことの出来ない不正義である。

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